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日本は世界でも珍しい「海藻食文化」の国だといわれています。確かに、海苔はもちろんのこと、ワカメや昆布、ヒジキ、モズクなど、いろいろな種類の海藻を食べますよね。
日本人と海藻の出会いはとっても古く、なんと縄文時代にはすでに食べていたのだそうです。その証拠に、貝塚などの遺跡からは貝殻や魚の骨に混ざってワカメやホンダワラ(海藻の一種)が見つかっています。この時代には塩を作る手段がなかったので、最初から塩味がついた海藻を食べることで塩分をとっていたと考えられています。
また、干した海藻は、遠く海から離れた場所に住み、海産物が手に入らない地域の人々との物々交換の手段にも使っていたようです。紀元1世紀ごろの後漢への献上品の中にも、そのような海産物があり、海藻は大陸との交易にも使われていたことが分かります。
もう少し後の、律令時代に定められた租税制度では、租税としてムラサキノリ、コルモハ(テングサ)、ミル、アラメ、カジメ、ニギメ(ワカメ)、マカナシ(芽カブ)などの海藻名が記されています。今では税金はお金で納めますが、当時は海草も税として納められていたのですね。
租税として納められ、都に集められた海藻は朝廷や役人、神社、寺院に支給されたのだそうです。これは今で言うお給料みたいなものでしょうか。当時は今ほど野菜の栽培技術が発達しておらず、和え物や汁物に使われた海藻は野菜に代わる大切な栄養源でもありました。そう考えると、当時の海草は今のお金と同じくらいか、それ以上の価値はありそうですね。
支給された海草の余りは市で売られたので、平城京には海藻を売る店や、テングサで作ったトコロテンを売る店があり、後には佃煮にした海藻を売る店も出現したそうです。
もっと後になって、室町時代のころになると、茶の湯の流行とともに海藻の美しい色合いを利用して茶懐石の点心や、精進料理にも盛んに利用されました。
鎌倉時代には昆布を使ったお菓子も登場。結び昆布にさらに山椒と砂糖を塗りつけて乾燥させた「水辛(みずから)」や、煎り豆に青海苔の粉をまぶした「苔豆(のりまめ)」などがあり、「茶の子」と呼ばれてお茶うけにされたとのこと。江戸時代には凍ってしまったトコロテンから偶然に発明された寒天が普及したことも手伝って、海藻を使った料理やお菓子の種類も増えました。 |
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